こなたび〜世界一周準備篇〜

札幌在住30歳。2018年春から世界一周へ行ってきます!準備中の様子や日々のアレコレ。

小倉城〜手中におさめるシリーズ〜

やってきました。手中に収めるシリーズ。今回は九州の玄関口、小倉城です。

 

もとは、戦国末期の1569年に毛利勝信が今の小倉城の場所にお城を造ったのがはじまり。その後1602年に細川忠興(だたおき)が今の小倉城を築城。

 

細川忠興は相当ヤバいひとだったらしい。

信長のお気に入りで、千利休の弟子。茶道・和歌・能楽・絵画なんかの芸術にも秀でて、越中ふんどしとか日本刀のデザインもしたらしい。しかも正室は美人。完璧かよ。

 

でも、超気が短かったんだって。しょっちゅう家臣を斬ってたらしい。その数なんと36人。そんで、「あれ?36ってことは三十六歌仙藤原公任が選んだすごい歌人の総称)じゃね?」ってことで自分の愛刀に「歌仙」て名前つけてたらしい。その発想、どうかしてる、、

 

しかも、自分の奥さんに見とれてたって理由でその家臣を斬ったとか、、こわすぎ!

「おいお前、今俺の嫁に見とれてただろ!見てんじゃねーよ!打ち首だ!」って感じでしょうか。なんて激しいんだ。

奥さんのガラシャさんも相当波乱万丈な人生を送ってる。ガラシャっていうのはキリスト教の洗礼名。明智光秀の娘さんなんです。

え?光秀の娘?って思うよね。だって、忠興さんは信長のお気に入りだよ。本能寺の変のとき相当ごたごたしたらしい、、光秀は当然忠興も光秀側につくと踏んでたみたいだけど、忠興は完全拒否。表向きはガラシャを幽閉して、光秀の謀反とは無関係ですよーってアピール。これで他から疑われることもなく、ピンチを乗り切ったみたい。

本能寺の変のときも、内緒でキリシタンになったときも、忠興はガラシャと離縁しなかった。愛妻家だったらしい。まあそのあたりは割愛。

 

 北九州にある小倉城は、本州と九州を結ぶ場所。とっても賑わってたんだって。

 

 

小倉城は唐造りの天守閣!4階と5階の間に屋根の庇がなくて、5階が4階よりも大きいんだよ。でも1837年に火災で天守閣は燃えちゃった。2年後に再建されたけど、天守閣はされず。

 

幕末には長州藩を攻める基地みたくなるんだけど、結局小倉城撤退。

 

1959年(昭和34年)に市民の要望で天守閣を再建したんだけど、なんせ資料も写真も残ってない。つまり、勝手に想像して造った天守閣だから、もしかしたら全然違うかもしれないんだよね。

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かっこいいお城だと思うけどね!

 

 

そんな小倉城も!

手中に収めてしまいました!

 

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てーーーーーーーーーん!

 

車で連れてってくれたひろのさんかよさんと共に!

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写真の服装が夏です。今更書いたのかよ!ってつっこみが聞こえてくるようだけどおどろかないでね。まだまだ書いてないだけで手中に収めたお城あるからね!

 

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城シリーズは歴史の記述とか、「ほんまでっか〜」な気持ちで読んでくれるとうれしいです!

 

 手中に収めるシリーズ久しぶりすぎて、てーーーーんを忘れるところだった。。