大阪城〜手中におさめるシリーズ〜
きました。手中におさめるシリーズ。
ニーズがあるのかないのかわからない、世界一周準備ブログのくせに城のことばっかり書きやがってでおなじみこなたびです。
第3弾は大阪城!
造られた当時は「大坂城」ね!
信長が自刃した翌年から、豊臣秀吉が造りはじめたお城!
1580年代の話なので、完成するのにめちゃくちゃ時間かかりそうじゃないですか。それこそ何十年って。だって石積む機械とかないんだよ?なんか長い建設現場によくある車とかもないんだよ?
でもこの大坂城、天守閣が完成したのって築城開始からなんと1年半。
早い!!!
しかも装飾がものすごい!!!!!!!
これには理由があって、まだまだ豊臣政権も不安定だったから、手っ取り早く権力を示したかったんだよね。お城全体が完成したのは、天守閣完成から15年後。自己顕示欲が強くて、頭がいい(と言われてる)秀吉さんらしいといえばらしいのかな。
秀吉さんはめちゃくちゃ女遊びが激しかったらしい。一説によるとなんと300人斬りを達成されているとかいないとか…!300人てすごくないですか!しかも誰でもカモン!て感じではなく、身分も高くてキレイで若い女性がすきだったんだって!まあそれもそうか、なんせ天下を取った秀吉さんだもんね…!
でも、その女遊びのせいで病気にもなって、晩年はかなり苦労してたみたい…。性格も攻撃的になったり。死因は諸説あるんだけど、62歳のときに亡くなって。平均寿命が40歳とかのときだから相当長生きだけどね!
秀吉さんも亡くなって、大坂夏の陣で豊臣家も滅ぼされて。ここで大坂城は一旦廃墟同然になる。それを、徳川秀忠(徳川二代将軍)が建て直します。
ちなみにこの徳川秀忠さん、あの有名な関ヶ原の戦いに遅刻して、父である家康さんにめちゃくちゃ怒られます。もう、無視。とにかく無視。精神的攻撃。そのへんの話は、ブロードキャスト房野さんの「超現代語訳戦国時代」がめちゃくちゃおもしろいのでぜひ。※画像押してもアマゾンに飛べるわけじゃないし、わたしにお金が入ってくるわけでもないけど読んでね!面白いから!
秀忠さんが再築に着工して、無事に天守閣が完成して、その3年後に大坂城全体が完成!ところがそのあと、大事件が…。
なんと、天守閣の完成からたったの39年で、
落雷により天守閣焼失!!!!!
えーーーーーーー。
えーーーーーーーってなるよね、わたしだったらなる。
みんな、あんなに頑張ったのにまじかよーー。もう1回造るとかやめてよー?って言ったかは知らないけど、(知らんがな)落雷で焼失してから266年間、天守閣が無いままだったらしい。それで、3代目の天守閣が完成したのは昭和6年。
ん?昭和?
…わりと最近!!
そう、今ある大阪城(明治から大阪表記)って天守閣は昭和に建てられてるし、石垣も徳川幕府が「秀吉のときより高く!掘りも深く!」って造っちゃってるし、秀吉時代の名残ってあんまりないんだよね。それでも十分すごいけど。
そんなわけで、激動の大阪城。
手中におさめてきました!!!
てーーーーーーーーん!!!!
何回見ても表情がにくたらしいんだよなあ٩(^‿^)۶
そして手中におさめたあとの祝杯。
551とエビスって!最高すぎる!
歴史上の人物の女性関係ばっかり書きやがって!ってひとも
落雷まじか…かわいそう…ってひとも
ぽちっとしてくださったら嬉しいです!
ちなみにこの日は朝からずっと呑んでました。
歴史の記述に関しては諸説あるので、ほんまでっかー?な気持ちで読んでくださると嬉しいです!